飼っている猫が片目を失明したかも知れないと聴いたわたしを俯瞰で見ると。
つかれている人にやさしくしたい
映画「救命士」より、
わたしの好きな映画トップ5に入る映画です。
この映画には、わたしの好きがたくさん入っていて、こんなに悲しい映画なのにわたしは癒されている。
ニコラスケイジの映画選びは結構好きで、ニコラスケイジ初見狩り祭りで、マッチスティックメンを観てとても良くてその流れで救命士をみつけた。
荒れた街、ニューヨーク、ギャング、麻薬、救われのなさ、孤独、夜、ブラックジョーク、情緒不安定、スピード感、
こんなふうに言葉を並べてみると、これのどこに癒しが入っているのか?という感じなのだけど、人間をしていれば悩まない人なんていないのに、自分の中にある暗い部分を明るいとされている所では見て見ぬふりをされてしまう今、空気を読むことが出来なければならない世界、お家の自分と外での自分とのギャップ。そうするとコミュニケーションはほんとうにコミュニケーションて言えるのかな?会話は会話と言えるのかな?
生活が生活と言えなくなって来て、リアル充実の言葉はリアルじゃない充実は認めない、コンピュータとリアル充実することが暗い部分に置かれるように、荒んだ生活、隣近所が誰だかわからない、遊んでもお家に帰るとひとりぼっち、いのちは永遠じゃないのに繰り返しをする毎日、自分だけ時間が止まっていて、自分だけ取り残された気持ちになって、自分の顔も忘れてしまう。自分の声も。
あなたはほんとうは、疲れているんだよ
自分のこと忘れないでね
自分のことおろそかにしないでね
大事にしてね。っていうのは守ってねってことだよ
悲しみを感じれるかこころに聴いてみてね
そうしたら、自分にやさしくしたげてね
大丈夫だよ。って自分に愛をあげてね
わたしもあなたに愛をあげるから
そんなわたしにも優しくしてくれる映画に、わたしは癒されている。
BGMは、Darondo の Didn't I
謝謝。